0016 - 東京②

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2019年5月 一人暮らしをしていたアパートから引越しをする時の様子

※この文章は2019年4月下旬に書いていたものです


大学を卒業したころ、身の回りの環境があまりよくなかったせいか、精神的にも身体的にも調子が悪くあっさり生理不順になった。おかしいなと思い始めたもののなかなか病院へ行く気にはならず、それからしばらく経ってからなんとなく「いますぐに子どもを産む・産まないは別として一回病院で診てもらったほうがいいな」「あのとき行っておけばよかったって思いたくないな」と思い、ようやく重い腰を上げて家の近くの病院へ行った。

近所の病院は産科に有名な先生がいるとかで産婦人科の待合室はめちゃめちゃに混んでいた。付き添いの夫さん、ご家族の方、プラス、場合によっては幼いきょうだいを連れた、さまざまな国籍・人種の妊婦さんであふれていた。うっかりした。別にわたしは産科の有名な先生に用はない、病院ミスったな、と思ってしまったが、今更「やっぱり診てもらうのやめます」とも言えず、ひとりぼっちで延々と自分の名前が呼ばれるのを待っていた。持ってきた安部公房の文庫を読みながら2時間くらい待ってやっと名前が呼ばれた。診察室でわたしを待ち受けていたのはおだやかな口調で田辺誠一に似た顔のかっこいい先生だった。田辺先生(仮名)に問診されたり内診されたり採血されたりしたのち、その日はホルモン剤と漢方を処方され、血液検査の結果が出るのに日にちがかかるから2週間後にまた来てねと言われた。

2週間後にまた病院へ行き、同じようにそれぞれの事情があるたくさんの妊婦さんに囲まれて、同じようにわたしはひとりぼっちで安部公房の文庫を読みながら2時間くらい待ち、やっと名前が呼ばれて診察室に入ると、田辺先生(仮名)は「血液調べてみたらもともと排卵がしにくい体質みたい」「そこにストレスが溜まってもっともっと排卵できなくなっているんだね」と言った。そしてメモ用紙に絵(おおきな丸(卵巣)の中にちいさなプチプチ(卵)がいっぱい)をさささっと描きながら「あなたは多嚢胞性卵巣症候群です」と言い、プチプチの下にPCOSと書いた。そしておだやかな口調のまま「周りのひとのせいでたくさんストレスが貯まっていると思うけど、周りのひとたちの行動や言動をあなたが変えるのは無理だから、自分の考え方や感じ方を変えるほうがいいよ」と言った。

そうか、確かにそうだ。

わたしは周りのひとたちのせいで勝手に傷つきすぎなのだ。勝手に傷ついて勝手にストレスを貯めて勝手に死にたいきもちになったりしているのだ。確かにそうなのだが、わたしは単なる生理不順だと思っていた現象にあっさりややこしい名前がついてしまったことに少し落ち込んでしまい、あー、わたし、その、プチプチの絵、にがてなんだよなあ、と、ずっと先生の手を見ていた。

それからは季節ごとに一度、通院するようになった。毎回3ヶ月分の漢方を出され、食前に飲む生活が始まった。 病院に通うようになって、漢方を飲んでも生理不順がすぐに良くなるというわけでもなく、わたしの排卵状況は一進一退で、調子が良いときもあれば、ぱったり止まってしまうときもあった。体といういれものに入った目には見えない心が、おなかの中にある内臓へこうも影響を及ぼすものなのかと不思議な気分だった。

そうして一進一退を繰り返して3年くらい経ったころ、病院の仕組みの変更で再診の患者を先生が診察できないことになってしまい、先生は「今の病院で別の先生に診てもらうこともできるし、僕は大学病院でも週に1回診ているからそこに来てくれれば僕が診られるけど、どうする?」と聞かれた。わたしはすっかり先生の顔と喋り方がだいすきになっていたので、先生についていくことにした。

大学病院はなんでも番号で管理されていて愉快だった。病院に入って受付で診察券と保険証を確認されたあとは、病院を出るまで名前で呼ばれることはなく、わたしはただの番号になる。1231番とか、296番とか。そして、たまたまわたしが通う木曜日が空いているだけだったのかもしれないけれど、大学病院の産婦人科に通う妊婦さんはあまり多くないようで、待ち時間がそんなにないところがうれしかった。それからも同じ漢方を飲み続け、調子が悪ければホルモン剤を飲んだ。

病院が変わってからは丸1年くらい通った。そして、半年くらい前から先生には転職を検討中と話していたこともあって、今年の年明けに病院へ行ったときに「仕事どう?転職できそう?」「実は春先で札幌に帰ることにしました」「そうなんだ!札幌さんでしたか!良いところだよねえ、それは帰ることになるよねえ」という話をした。わたしが東京で暮らしたのはほぼ9年なので、そのうち4年は先生に診てもらっていたんだなと思った。

4月、最後の診察の日、先生はパソコンで紹介状を書いてくれながら「どうなの?寂しい?」とニコニコ聞いてきた。「毎日エモいきもちになっています」と言いかけたが、「エモい」という言葉を使うのは良くないのでは?バカに見られるのでは?と逡巡し言葉に詰まり、ありきたりに「いろいろ思い出してしまってさみしいきもちになっています」と答えた。先生はパソコンからわたしの目に視線を移して言った。

「でもさ、それってきっと2.3ヶ月くらいだよ。さみしいきもちがするのは。きっとそのあとはぜんぶ思い出に変わるよ。しかも、良い思い出にね。どこかで東京のひとや東京で過ごしたことのあるひとと出会って、東京の話になって『あっ!それわたしも知ってる!』とか、そういうことが起きるよ」

ぜんぶ思い出に変わる。しかも良い思い出に。

先生と会えなくなるのはさみしいけれど、良い思い出に変わるときがくるのが待ち遠しくなった。そのあともやっぱりうまい言葉がひとつも思いつかず「ほんとうにお世話になりました」と「ありがとうございました」を繰り返して診察室を出た。先生は最後までおだやかな田辺誠一だった。 宛名のない紹介状と、「また東京に戻ってくることがあったら僕が診るからね」と渡してくれた紹介状を書いてもらうための紹介状と、3ヶ月分の漢方を抱えて帰る。

帰りの電車はガラガラに空いていた。車窓からどんどんと通り過ぎていく景色をぼんやり眺めながら、いつか先生に「ボクシングとかやったら?すごいストレス解消になるってよ」と言われたことや、「安部公房すきなの?予想以上に古い時代のものを読んでいるんだね」と言われたこと、「書くのがすきなら書き続けたほうがいい、ブログとかやりなよ」と言われたこと、などを、思い出した。あのおおきな丸の中につまったちいさなプチプチの丸も。

どれもこれも、ぜんぶ良い思い出に変わる。ボクシングには通わなかったけどホットヨガは始めたし、わたしの中の安部公房ブームは一旦落ち着いたが、わたしは細々とずっと書き続けている。そして、どこへ行こうとなにになろうと、このおなかにやっかいな卵巣を入れて生きていくのだ。