2302 - 夢見てる

暇だな、暇だけどお金ないな、でも増税するしな、増税する前になにかたのしいものごとにお金をかけたいけどお金ないな、の繰り返しなのだが、そうだ!ボードゲームを買おう!ドンジャラとか!モノポリーとか!人生ゲームとか!したい!と思いアマゾンでいろいろ見ていた。ボードゲームは毎月課金する必要がないし、あとお酒を飲みながらワイワイお友達とやったら絶対たのしい。そうかボードゲームはひとりでやってもおもしろくないんだった。わたしはいま札幌に住んでいて、東京には一緒に飲みに行ったり、お出かけしたりしてくれるお友達が何人かいるが、札幌にはひとりもいない。この度も夢のボードゲームパーティに思いを馳せ、カゴの中にクリックでぶちこんでいたボードゲームたちを全て削除した。

というわけで、時間がたくさんあるのでコロッケを作ってみました。コロッケ、どの工程も作るのがたのしい。あと、お肉やお魚の揚げ物だと、中身に火が通る・通らない問題がすごく億劫なのだが、コロッケだとその心配をせず高温で一気に揚げればいいというのがすごく良い。エー最高じゃん〜コロッケ屋さんになる〜!と思って1個食べてみたら、あんまりというか全然おいしくなくてびっくりした。ソースなしでは食べられないお味。かなしい。ソース最高。ソースがあってよかった。

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コロッケを揚げている最中、お鍋の中に浮いたパン粉を掬う仕組みがなくて、後半は死んだ黒いパン粉がコロッケにくっついてしまいかなしかった。でもハチクロで森田さんが山ほどコロッケを買ってきて、みんなでコロッケパーティをするシーンがすきなことを思い出して良い気分

2243 - 夏の匂いなんてしない

転職活動を始めて1ヶ月、10社くらい応募して、1社か2社書類選考で落ちて、8社くらいは一次面接に進んだ、が、ことごとく落ち続けている。前の仕事を辞めるときにいろんな大人のひとから「次なんてすぐ決まるよ」と言われて、正直自分でもすぐ決まるだろうとタカをくくっていたのだが全然決まらない。ほんとうに全然決まらない。すごい。そもそも地方には求人の数が少ない。その中から条件を絞り込んでいくと働きたいと思える会社の数はもっと少なくなる。じぶんの見通しの甘さに辟易した。何を妥協するか、何を諦めるか。最初の6社か7社くらいは履歴書や職務経歴書を書く練習、スーツを着て出かける練習、面接を受ける練習だと思って、別に落ちてもいいやくらいのきもちだったけれど、先週受けた会社は転職活動を始めてから初めてここで働きたいと思えた会社だった。面接でもなんとなく手応えがあった気がしたし、WEBテストもまあまあできた気がしたが、結果はもちろんダメだった。それまではなんとなく平気だったのだが、心がぽきっと折れてしまった。すごいな、就活生はこんなきもちでずっと就活しているのか。ずっとじぶんと向き合い続けているのか。すごいな。わたしは新卒で就活をしなかった。大学を卒業してからずっと同じ会社でアルバイトをしていた。そしてその会社を辞めて札幌に帰ってきた。退職する前に次の会社を決めなかった。全部理由は説明できる。でも面接でうまくしゃべれなかった。応募書類のブラッシュアップが足りなかった。SPIがてんでダメだった。正社員の経験がない、エクセルが使えない、落とされる理由なんてきっとたくさんある、でも何がダメで雇ってくれなかったのかはどの会社も教えてくれないから予想で直して次の会社に応募するしかなくて、でもその予想があっているのかはわからなくて、この直し方であっているのかもわからなくて、毎月減り続ける貯金、家賃、年金、住民税、保険料、面接へ行くのに交通費もかかるし、札幌の地下鉄はめちゃめちゃ高いし生きてくのってつかれる

気分転換をしようと思ってホットサマーナイツをみにいった、映画館は現実逃避するのにとても良いのですきだったのだが、この日はあまり映画に集中できなくて、ふとした瞬間にじぶんの今の不安な暮らしのことを思い出して泣きそうになったり、泣いたりした、生きてくのってつかれる、ほんとにつかれる、でもわたしは寧子じゃないし、凪ちゃんでもないし、近くに津奈木もシンジもゴンちゃんもいない、わたしはわたしで生きていかなくちゃいけないし、と思った。帰りのバスでラブスイートドリームLPをききながらまた少し泣いた

2029 - ユジノサハリンスク③

ユジノ3日目。朝ごはんバイキングも慣れてきちんと1周してからメニューの組み立てができた。勝利。

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ホテルの近くにチェーホフの博物館があってそちらに向かう。日本で買ったユジノのガイドブックは地図や情報があちこち間違えていてあまり頼りにならないことが判明。窓口でチケットを買うのに英語が通じず右往左往していたら奥から日本語がわかるスタッフの方が出てきて助けてくれた。

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適当に街を歩いて、美術館があったので入る。美術館のおばさま方もみんなやさしい。

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わたしが帰りしなにごそごそとフライヤーを取っていたら「これもどうぞ」と立派なパンフレットをくれた。

夕方からはテフニカ市場へ。はちみつとチョコを山ほど買い、フードコートみたいなところでピロシキを食べる。

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夜は黒猫というレストランへ向かう。お店の場所がわからず迷子になっていたら通りがかったおじさんとおばさんが場所を教えてくれた。団地の中にあって、おじさんとおばさんが通りがからなかったら絶対見つけられなかっただろうな。感謝。

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ごはんおいしかった。

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バルティカ7にはお世話になりました。

2030 - ユジノサハリンスク④

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ユジノ最終日。夕方の飛行機なので半日くらいは観光できる。朝ごはんバイキングも手馴れたもの。

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と、言いつつ写真を撮るのが下手でおいしくなさそうだけどめちゃめちゃおいしかった、オートミールのクッキーにサワークリーム塗ったやつ200枚くらい食べたかった

グラノーラも置いてあったのだけど、わたしはグラノーラは絶対ヨーグルトで食べたくて、レストランには牛乳しか置いてなくて、牛乳はあまりすきじゃなくて、ヨーグルトはないのか聞きたかったけど語学力がなくてあきらめた。次に来たときにはグラノーラ食べたいな。

街が山のそばにあるせいか、毎朝雲が降りてきて、少しずつ晴れていくという不思議な天気が続いていたけれど、最終日は雨模様。仕方ないけれど、山の空気展望台へ行くことに。ホテルのフロントの人に「歩いていくの?タクシー乗ったほうがいいんじゃない?」と言われるが歩くのだいすき人間でユジノの街の規模を見くびっていた我々は「大丈夫大丈夫!」とフロントの人のアドバイスを無視し歩いて展望台へ。

ガイドブック片手に進むが途端に急な山道に差し掛かる。展望台の看板も何も出ていない。地図係の父は「この道で間違いない」と言うが、あきらかに様子がおかしい。他に歩いて登っている人もいないし。雨も降ってきたので一旦大きい道まで降りてきて、タクシーを捕まえることに。ここでフロントの人のアドバイスを無視して歩いてきたことを後悔するロシア語が喋れない日本人の我々。地図係兼英語でコミュニケーションする係だった父の機嫌が悪くなってしまい険悪なムードに。ここは日本ではないので、流しのタクシーが捕まるかわからないし、捕まえていいものかもわからないし、そもそも我々はロシア語を話せないし、一旦恥を忍んでホテルに戻ってタクシー呼んでもらう案をわたしが提案したところで、運よく止まっているタクシーを母が発見。英語と片言のロシア語で展望台に行きたい、道がわからない、タクシーに乗せてくれと頼み、乗せてもらえた。よかった。そしてやさしいイケメンロシアお兄さんのタクシーに乗ること2分で展望台に到着。我々は入る道を1本間違えていた。父曰く、地図も間違えているし、ロシアだからそんな展望台だなんだという看板も出ていないものなんだと思い込んでいた、とのこと。やさしいイケメンロシアお兄さん、ありがとう。

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あのまま山道を登らなくてよかった、ナイスジャッジだったという大団円

展望台へはゴンドラで登る仕組みになっていたが、ここでもロシア語ができない我々は、運よく近くにロシア人の家族連れがいたため、ニコニコしながら「お先にどうぞ」の動作をして、真似してチケットを買い、ゴンドラへ乗り込む。

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コーヒーの自販機

ゴンドラ、早い。

天気は悪かったけど絶景でした。

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こういうくるくるしたデザインの手すりとかが多い気がする

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大きな布をみんなで上下に揺らしてぬいぐるみか何かを持ち上げるみたいなイベントをやっていた

この時点でお昼近くになっていたのと、展望台に来るまでの迷子騒動で結構やられていた我々は、お昼ごはんを食べて、スーパーでおみやげを買おうということに。

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展望台からの帰り道、サーカスに遭遇。時間なくて行けなかったけど。クマの顔がなんだかロシアっぽい

お昼ごはんはホテル近くのカフェで。ベーグルのサンドイッチおいしかった。

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カフェの隣に小さなスーパーがあり、チョコやらサワークリームやら酒やらを購入。ばかみたいにアリョンカのチョコ買っちゃった。かわいいんだもん。ユジノのスーパーは入り口に簡易的なカゴのロッカーが置いてあって、そこにかばんは預けて、貴重品だけ持って入場する仕組み(父母はそれを知らずにでかいかばんを持ったまま入場して警備員の人が慌てて近づいてくるということがあった)。日本、平和なんだな。どこでも馬鹿でかいリュックとか背負っていけるもんね。

お買い物をした後はホテルのラウンジでイタリア人のドライバーが迎えにくるのを待つ。

帰りもホムトヴォ空港へ。空港の中、本当になにもない。これが空港?!というくらいカルチャーショックを受けた。父と母と大笑いした。

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国内線の待合室、椅子は10席ないくらいだった気がする

東京から札幌に帰ってくるときに、新千歳なんもないな〜と思っていたけどそんなことなかった。ホムトヴォ空港に比べたら何もかもありすぎるくらいだった。

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ハバロフスクへ向かう屈強なロシアのおじさんたち

無事出国し、来たときよりも小さい気がするオーロラ航空のプロペラ機で新千歳へ。帰りも1時間くらいであっという間だった。

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飛行機の写真を撮ろうとして、カメラを構えていたらパイロットのお兄さんがポーズしてくれた。うれしかった。これにて初めてのロシア旅行、終了。

ユジノサハリンスク、わたしはロシア語が全然話せないしわからないしキリル文字が少し読めるくらいで、スパシーバ・ダスビダーニャ・オーチェニフクースナ・アジン・ドゥバ・トゥリしか喋れないのに、どこに行っても大抵英語のメニューがあるし、英語が少し通じる人がいるし、みんな親切にしてくれるし、ごはんおいしいし、お酒安いし、消費税ないし、ほんとうにだいすきな街になりました。次はウラジオストクでもいいな、もう少しお金をためてモスクワやサンクトペテルブルグもいいな。でもまた絶対ユジノ行きたいな。

2326 - ユジノサハリンスク②

ユジノ2日目。朝ごはんは日本のビジネスホテルと同じでセルフサービスのバイキング形式。バイキングは1周して全てのメニューを把握してからメニューを組み立てるのが鉄則と華丸さんも言っていたのに、レストランの中がロシア人家族でめちゃめちゃに混んでいてすっかり気圧されてしまいうまく選択できず。でも朝ごはんもめちゃめちゃおいしかった…なにを食べてもおいしい…

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ぎこちない朝ごはんのぎこちない写真

この日は午前中から半日ガイドさんを予約していた。10時にホテルへ来てくれる約束だったため、9時50分ごろフロントへ降りる。パスポートを返してもらうため、父に英語でフロントの方とやりとりしてもらう。父・母のパスポートはすぐ返してもらえたが、私のパスポートが見当たらないらしい。フロントのお姉さんが顔をしかめながらあちこちの引き出しを開けたりたくさんあるファイルをバラバラを探したりするが出てこず、挙句「もう返したんじゃないの?渡してない?」などと強気で言ってくる(おそらく)。「もらってない!」と言うと、「探すから30分待って」と言われた。やばい。このまま失くされていたらどうなるんだろう。おもしろい。帰れないよな。と思いながら待つこと15分、無事発見。ガイドさんもやってきて街へ出る。

ユジノは街の規模としては江ノ島くらい、小樽くらいのイメージで、十分歩いて回れる。外国にくると街を歩いているだけでたのしい。

 

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お昼ごはんの前にガイドさんと別れ、セルフサービス式のレストランへ。英語が通じず、ロシア語がわからず、大騒ぎする我々日本人。親切な店員さんたちのおかげでなんとかランチ開始。ここで覚えた言葉は「вместе」。レジをしてくれたおばさんのおかげで割り勘じゃなくてお会計まとめてって言えるようになった。ロシアには炭酸水とお水とが売っていて、わたしは炭酸水が苦手なのだが、見分けがつかずここで予想で手にしたお水はガス入りだった。無念。

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やさしくしてくれてありがとうございましたまた行きます

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一度ホテルに戻って休憩。夜はジョージア料理のレストランを予約する。が、我々はロシア語が話せないため、ホテルのフロントのお兄さん(イケメン)に代わりに予約してもらうようお願いする。7時に予約をしていたはずが、行き違いがあって9時に。どうやら「7時はテーブルが空いていないから9時に変えてもいいか」という話を父が「帰りは9時にタクシーを手配するのでいいか」と勘違いしてしまい、レストランの予約は9時にされていた。2時間また街へ繰り出す。歩く。歩く。歩く。

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そして9時。レストランへ。おなかがペコペコだったせいで頼みすぎる。最初に出てきたサラダ、おいしそう〜と思って食べたらパクチーが入っていた。ユジノでもお前にやられるとは。

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パクチーめっちゃ入っていておみまいされた、パクチーすきなひとは最高サラダだと思う

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このクソでかシュウマイみたいな、小籠包みたいなものの中にもパクチーが入っていてわたしは食べられず。脇にいっしょにマシュマロがついてきて「なんでマシュマロ?」「パクチーの口直しのためじゃない?」「だったら最初からパクチー入れるなよ」「マシュマロ苦手なんだよなあ」と言いつつ、口に入れてみたらおしぼりだった。

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シャシリクおいしい。かぼちゃのスープおいしい。わたしは卵とチーズが乗ったこいつが最高にだいすきだった。ジョージアワインも3人で1本空けて気分良く酔っ払う。

行きはタクシーで行ったけれど、帰りは歩きで。歩いても20分くらい。

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わたしはユジノの他はバンコクにしか行ったことがないのだけれど、バンコクは飛行機を出た瞬間に漂う異国の匂いにびっくりしたけれど、ユジノは全然匂いがないし、ゴミもあんまり落ちていないし、清潔なんだなと思った。あと日本車がめちゃめちゃ多い。

ユジノでは歩くかごはんを食べるか酒を飲むかしかしなかった。生きるってこういうことなのかも、とか思っていたことを、これを書きながら思い出した。

2312 - ユジノサハリンスク①

先月両親とユジノサハリンスクへ行ってきた。新千歳空港から1時間弱で着く、日本から一番近いロシア。父はチェーホフ好きで大学でロシア語を勉強していた大のチェーホフ好き。わたしも大学でロシア語を勉強していて、チェーホフやアレクサンドルグリーンの短編を原文のまま読む授業を一生懸命受けていた。

小さなプロペラ機に乗り込む。40人くらいの乗客のうち日本人が10人くらい。あとは中国人の観光客が数人と、残りは札幌で爆買いをしたらしい軒並み大荷物を抱えたロシア人の家族づればかりだった。機内のアナウンスは9割ロシア語のち1割ロシア人の話す英語で「レディスエンジェントルメン」しか理解できなかった。もうわたしたちは異国へ来たのだ。

わたしは乗り物にめちゃくちゃ弱く、飛行機がかなり苦手なのだが、父曰く今回乗る飛行機のパイロットの方はみんな元軍人で運転がかなりうまいらしい。途中気流の乱れで少し揺れたけれど酔うこともなく元気にユジノへ辿り着くことができた(CAの女性の方がすごく顔が小さくて鼻も背も高くてかっこよかった)。

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ユジノのホムトヴォ空港は空港という概念が覆されるほど簡素だった。羽田や成田に比べて新千歳は何もないなと思っていたけれど、新千歳何もなくない!何もないっていうのはここのことだ!と思った。

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預けた荷物が回るレーン。おもちゃみたい。カーテンの向こうで屈強なおじさんがスーツケースをバンバン投げてくるところが見えてめちゃくちゃ笑った

セキュリティチェックを経て、空港まで迎えにきてくれていたドライバーの方と落ち合う。ヒュンダイのバンに乗ったイタリア人のおじさんだった。わたしたちはロシア語はほぼしゃべれないし、イタリア語もダメ。片言の英語でコミュニケーションを取り合う。父はなぜユジノに来たのかと聞いていたが通じずお互い愛想笑いをしあって終わった。

車に乗ること30分でホテルに着く。パシフィックプラザサハリン。滞在登録のためにパスポートを預け、明日の朝に返すと言われる。外出ができないためホテルのレストランで夕ごはん。現金は新千歳で両替した2500ルーブルしか持っていないため、父がレストランの方に「2500ルーブルしか持っていないけど大丈夫?カード使える?」と尋ねる。「もちろん、カードも使える」。

安心した我々はレストランへ入り、ワイン・サラダ・ボルシチライ麦のパン・どでかいサーモンを焼いたものをオーダー。レストランはガラガラに空いていて、わたしたちのほかはロシア人の男2人組しかいなかった。

静かだなあ、もう7時なのにこんなに明るいんだなあ、静かだなあ、と思っていたら、BGMが止まっていたらしく、男の子のウエイターが途中からBGMを流し始めた。

先にワインが出てきてから、半分くらい飲んでしまっても料理は全然出てこなかった。けれどそんなことも腹が立たないくらい時間はゆったり流れていた。しばらく待ってからウエイターの方が「サラダは誰が食べるの?」と聞きにきて「みんなで分ける」と答える。そのあとはすぐサラダが出てきたが、日本で考えると明らかに1人前ではない量の山盛りサラダが出てきた。これが1人前なのかな?、このきゅうりみて、クルトンも、すごい、狂ってるね。

そしてボルシチである。おいしい。めちゃくちゃおいしい。そして脇に添えてあるサワークリームをぶちこむとまた味わいが変わる。コクが出ておいしい。ライ麦のパンもクソでかサーモンも最高。母曰く、ユジノはどこで頼んでもスープがおいしいらしい。我々は初日にして正解を見つけてしまった。ボルシチ最高。ロシア料理最高。

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3人でワインを1本空けて気持ちよく酔っ払っていたため初日はこれにて終了。そして2つくらいに分けてユジノへ行ったことをブログに書こうと思っていたけれど全然もっと長くなりそう。また書きます。

0016 - 東京②

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2019年5月 一人暮らしをしていたアパートから引越しをする時の様子

※この文章は2019年4月下旬に書いていたものです


大学を卒業したころ、身の回りの環境があまりよくなかったせいか、精神的にも身体的にも調子が悪くあっさり生理不順になった。おかしいなと思い始めたもののなかなか病院へ行く気にはならず、それからしばらく経ってからなんとなく「いますぐに子どもを産む・産まないは別として一回病院で診てもらったほうがいいな」「あのとき行っておけばよかったって思いたくないな」と思い、ようやく重い腰を上げて家の近くの病院へ行った。

近所の病院は産科に有名な先生がいるとかで産婦人科の待合室はめちゃめちゃに混んでいた。付き添いの夫さん、ご家族の方、プラス、場合によっては幼いきょうだいを連れた、さまざまな国籍・人種の妊婦さんであふれていた。うっかりした。別にわたしは産科の有名な先生に用はない、病院ミスったな、と思ってしまったが、今更「やっぱり診てもらうのやめます」とも言えず、ひとりぼっちで延々と自分の名前が呼ばれるのを待っていた。持ってきた安部公房の文庫を読みながら2時間くらい待ってやっと名前が呼ばれた。診察室でわたしを待ち受けていたのはおだやかな口調で田辺誠一に似た顔のかっこいい先生だった。田辺先生(仮名)に問診されたり内診されたり採血されたりしたのち、その日はホルモン剤と漢方を処方され、血液検査の結果が出るのに日にちがかかるから2週間後にまた来てねと言われた。

2週間後にまた病院へ行き、同じようにそれぞれの事情があるたくさんの妊婦さんに囲まれて、同じようにわたしはひとりぼっちで安部公房の文庫を読みながら2時間くらい待ち、やっと名前が呼ばれて診察室に入ると、田辺先生(仮名)は「血液調べてみたらもともと排卵がしにくい体質みたい」「そこにストレスが溜まってもっともっと排卵できなくなっているんだね」と言った。そしてメモ用紙に絵(おおきな丸(卵巣)の中にちいさなプチプチ(卵)がいっぱい)をさささっと描きながら「あなたは多嚢胞性卵巣症候群です」と言い、プチプチの下にPCOSと書いた。そしておだやかな口調のまま「周りのひとのせいでたくさんストレスが貯まっていると思うけど、周りのひとたちの行動や言動をあなたが変えるのは無理だから、自分の考え方や感じ方を変えるほうがいいよ」と言った。

そうか、確かにそうだ。

わたしは周りのひとたちのせいで勝手に傷つきすぎなのだ。勝手に傷ついて勝手にストレスを貯めて勝手に死にたいきもちになったりしているのだ。確かにそうなのだが、わたしは単なる生理不順だと思っていた現象にあっさりややこしい名前がついてしまったことに少し落ち込んでしまい、あー、わたし、その、プチプチの絵、にがてなんだよなあ、と、ずっと先生の手を見ていた。

それからは季節ごとに一度、通院するようになった。毎回3ヶ月分の漢方を出され、食前に飲む生活が始まった。 病院に通うようになって、漢方を飲んでも生理不順がすぐに良くなるというわけでもなく、わたしの排卵状況は一進一退で、調子が良いときもあれば、ぱったり止まってしまうときもあった。体といういれものに入った目には見えない心が、おなかの中にある内臓へこうも影響を及ぼすものなのかと不思議な気分だった。

そうして一進一退を繰り返して3年くらい経ったころ、病院の仕組みの変更で再診の患者を先生が診察できないことになってしまい、先生は「今の病院で別の先生に診てもらうこともできるし、僕は大学病院でも週に1回診ているからそこに来てくれれば僕が診られるけど、どうする?」と聞かれた。わたしはすっかり先生の顔と喋り方がだいすきになっていたので、先生についていくことにした。

大学病院はなんでも番号で管理されていて愉快だった。病院に入って受付で診察券と保険証を確認されたあとは、病院を出るまで名前で呼ばれることはなく、わたしはただの番号になる。1231番とか、296番とか。そして、たまたまわたしが通う木曜日が空いているだけだったのかもしれないけれど、大学病院の産婦人科に通う妊婦さんはあまり多くないようで、待ち時間がそんなにないところがうれしかった。それからも同じ漢方を飲み続け、調子が悪ければホルモン剤を飲んだ。

病院が変わってからは丸1年くらい通った。そして、半年くらい前から先生には転職を検討中と話していたこともあって、今年の年明けに病院へ行ったときに「仕事どう?転職できそう?」「実は春先で札幌に帰ることにしました」「そうなんだ!札幌さんでしたか!良いところだよねえ、それは帰ることになるよねえ」という話をした。わたしが東京で暮らしたのはほぼ9年なので、そのうち4年は先生に診てもらっていたんだなと思った。

4月、最後の診察の日、先生はパソコンで紹介状を書いてくれながら「どうなの?寂しい?」とニコニコ聞いてきた。「毎日エモいきもちになっています」と言いかけたが、「エモい」という言葉を使うのは良くないのでは?バカに見られるのでは?と逡巡し言葉に詰まり、ありきたりに「いろいろ思い出してしまってさみしいきもちになっています」と答えた。先生はパソコンからわたしの目に視線を移して言った。

「でもさ、それってきっと2.3ヶ月くらいだよ。さみしいきもちがするのは。きっとそのあとはぜんぶ思い出に変わるよ。しかも、良い思い出にね。どこかで東京のひとや東京で過ごしたことのあるひとと出会って、東京の話になって『あっ!それわたしも知ってる!』とか、そういうことが起きるよ」

ぜんぶ思い出に変わる。しかも良い思い出に。

先生と会えなくなるのはさみしいけれど、良い思い出に変わるときがくるのが待ち遠しくなった。そのあともやっぱりうまい言葉がひとつも思いつかず「ほんとうにお世話になりました」と「ありがとうございました」を繰り返して診察室を出た。先生は最後までおだやかな田辺誠一だった。 宛名のない紹介状と、「また東京に戻ってくることがあったら僕が診るからね」と渡してくれた紹介状を書いてもらうための紹介状と、3ヶ月分の漢方を抱えて帰る。

帰りの電車はガラガラに空いていた。車窓からどんどんと通り過ぎていく景色をぼんやり眺めながら、いつか先生に「ボクシングとかやったら?すごいストレス解消になるってよ」と言われたことや、「安部公房すきなの?予想以上に古い時代のものを読んでいるんだね」と言われたこと、「書くのがすきなら書き続けたほうがいい、ブログとかやりなよ」と言われたこと、などを、思い出した。あのおおきな丸の中につまったちいさなプチプチの丸も。

どれもこれも、ぜんぶ良い思い出に変わる。ボクシングには通わなかったけどホットヨガは始めたし、わたしの中の安部公房ブームは一旦落ち着いたが、わたしは細々とずっと書き続けている。そして、どこへ行こうとなにになろうと、このおなかにやっかいな卵巣を入れて生きていくのだ。